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大森屋海苔の博物館

かんたんアレンジレシピ

 

あの日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の心を奪った美しい海苔の風景。

「古老のいへらく、倭武の天皇 海辺に巡り幸して 乗浜に行き至りましき時に浜浦の上に多に海苔を乾せりき 是に由りて能里波麻の村と名づく」

海苔という言葉がはじめて書物(常陸風土記)にデビューした記念すべき一節です。その内容は「日本武尊が霞ヶ浦の静かな浜辺に干してある海苔の美しい光景に目を奪われた」というものでした。それにしても、熊襲や蝦夷遠伐で威を輝かした勇ましい伝説を持つ日本武尊が、干し海苔の美しさに感動する繊細な心を持っていたなんて驚きですね。

 

香り高き紫菜物語。

また、さらに海苔の歴史をひもといてみると、日本書記にも「紫菜」という優雅な名で海苔が紹介されているのが目にとまります。

海苔がどうして「紫」なのかは不明ですが、中国の古い書物、本草図経でも「紫菜 色紫ナリ」と言い切っていたり、海苔の学名「ポルフィラ・テネラ」の「ポルフィラ」が「紫色」のことなどを考え合わせると、洋の東西を問わず、昔の人にとって海苔は紫色が常識だったようです。

税を海苔で支払っていた大和朝廷時代。

その昔、海苔の採集といえば、冬の身を切るような海水の中で岩や木に付着した天然の海苔を集めていたのでしょうから、その価値は大変高かったことが想像できます。海苔が貴重な高級食材として扱われていたことは、大宝2年(702年)2月6日に施行された大宝律令の中で諸国の物産に租税が課せられ、海苔による納税が認められていたことでもわかります。また、納税の量を見ても、年間にワカメが78kg、テングサが72kgであるのに対して、海苔は30kgと決められ、他の海産物に比べて価値あるものとして位置付けられていたことがわかります。
結果的に海苔の価値を世に知らしめることになった大宝律令ですが、これに由来して2月6日を海苔の日としています。

養殖海苔は、生まれも育ちも、江戸っ子。

中世、武家僧侶の間で珍重され、しだいに庶民へ広がっていった海苔は天然ものでした。それが、人の手で育てられるようになったのは、徳川家康が江戸に居城を定めてから後のことと伝えられています。事の起こりは、将軍家に新鮮な御膳魚を献上する目的で、品川沖に大きな活簀が作られたことに始まります。つまり、不漁の日でも幕府からの不意の用命に応えられるよう、ソダ(枝付きの木や笹つきの竹の類)で柵を作って、活きたままのピチピチの鯛を放しておこうと考えたのです。ところが、苦肉の策の活簀の柵に思いがけず海苔が付着。これをヒントに海苔の養殖が始まったとされています。
寛政から明和の頃の作といわれる「江戸名所図会」には、鈴ヶ森と題して海苔ソダの立ち並ぶ情景が描かれています。天保14年の「広益国産考」によれば「まづ海苔を付けるには、内海の清らかなる砂地を選ぶ。遠浅の、引汐には深さ二尺位、満潮には挿したそだの末がひたひたになり、また半ばの引潮には末一尺五寸位水際より現れる土地を見立つとよい。」とあります。ソダには、楢が最上とされ献上品用には必ず用いたものでした。

徳川家は海苔の養殖を江戸漁民の独占産業として保護し、他国に伝承することを禁止したために、以来長く江戸の特産とされることになったのです。

和紙づくりをヒントに生まれた浅草海苔。

江戸時代、浅草は隅田川の清流を利用した再生和紙のメッカとなり、ここで抄かれた和紙を「浅草紙」と呼んでいました。古紙を水に晒して砕き、水溶状にした原料を入れた桶の中へ、木枠をのせた簀を持ち込んで抄いてゆくという行程で作られます。

浅草紙は和紙としては三流どまりでしたが、これをベースに生み出される浅草海苔は、江戸随一の名物にまでなりました。宝歴年間に出た「日本山海名物図会」には「浅草のり、仕上げよろしく、きよらかにして名物なり」とあります。

安永から天明にかけて浅草寺の門前町は江戸一番の盛り場となりましたが、流通面でも貴重な場となり江戸時代後期になりと、浅草の海苔問屋は製造から店頭までの小売まで行うほど活躍を見せてまいりました。また、永年の経験から茶商が用いるような「囲い」(保管・保存)の工夫が生まれ、花ひらいた料理文化とともに、浅草海苔は年始の吸い物や、節句の巻き寿司など江戸の町をあげて親しまれる“味”となりました。

 

味付海苔のオリジナルは、明治期の色紙型薬味海苔。

現在、味付け海苔は、焼かれた海苔の表面に調味液をしみこませたローラーで液を塗りすぐさま乾燥させて作られています。明治2年、明治天皇が宮中から京都への御料品として、江戸名産海苔の御下命があったとき薬味海苔を献上したのが味付海苔のオリジナルといわれています。これは、海苔を抄き上げる直前に醤油や山椒、唐辛子、陳皮(みかんの皮を干したもの)など各種の香辛料を入れ、一尺四方の大きさに抄いて色紙型に裁ったもので、「色紙海苔」と呼ばれました。

このように、海苔の歴史のうえで味付海苔は比較的新しいものですが、日清戰争前後には早くも全国の主要都市で食通のあいだに人気を高めておりました。しかし、その頃は味付海苔を製造するところは東京の一部の海苔問屋に限られており、夏場の貯蔵に適したスズの茶器とかガラス瓶に詰めたものが、高級進物用として広まっていきました。

味付海苔が一般に売り出されたのは明治中期からで、これはブリキ缶につめて発売されています。

海苔の博物館 ご案内

1.いま、注目される海苔の栄養。

2.あの日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の心を奪った美しい海苔の風景。

3.焼いて消化のよい海苔のタンパク質。

4.ツヤのある黒褐色の素肌美がよい海苔の必須条件

5.波乱万丈の海苔の一生

6.波乱万丈の海苔の一生(2)

7.海苔をおいしく、賢く食べよう。コレステロールを抑える組み合わせ

8.よい海苔って、どんな海苔?品質の判定基準

9.日本各地の海苔、食べくらべ。色、香、味を決める自然環境とは

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